どこにでもある故郷

 震災から約一週間後、政府や報道の語弊などによって支援物資や一般物資を運ぶトラックの運転手が無用な被曝を避けようと輸送をためらった。その為、孤立状態になっているとwebで知った私は、何かしなければいけないという使命感から福島県いわき市へ向かった。
  そこにはテレビで見る様な映像が広がっていた。人々が自身の家や品々を探し、自衛隊や警察が遺体を捜し、ガソリンスタンドには長蛇の列が出来ていた。

 ある方はこれからのいわきが津波や原発被害からどうなっていくのかと心配をし、ある方は津波からギリギリ逃れた経験を語る。東京電力に対する怒りを露にし子供の事を心配をする方。またある方は何も無かったかの様に携帯電話が繋がらないと言う。
 人はそれぞれに思い、生きている事は当たり前だが、こういった状況でこそそれが見えてくるのかもしれない。謎の使命感にかられて向かった私においても例外ではない。
 福島へ行く回数が増えていく度に、当初携えていた使命感はただのお茶の間の正義でしかない事に気付いてしまった。それからは本当の福島県浜通に出会う旅行へと変わっていった。
 私が出会った福島県浜通には豊かな文化があり、美しい自然があった。そこで暮らす人達は奥ゆかしく人懐っこく、それでいて気丈であった様に感じられた。

 ここはまぎれも無く誰かの故郷であり、私が異邦人であるという事を実感した。

 ここで暮らす事を選んだ彼らの気持ちを本当に理解する事は私には叶わないだろう。しかし、それでも私は知りたいと思うし、その光景を見続けたいと思う。

どこにでもある正義

 原発事故当初、福島県のテレビでは天気予報の様に各地の放射線量が表示されていた。それはL字表示へと変わったが今でも続いている。
 4月10日、ホテルでニュースを見ていると放射線量表示が流された後に、東京で行われている反原発デモの様子が放送された。何かが変わり始めているという漠然とした意識を確かめる為に、それ以来時間を見つけてはデモ活動の撮影を始めた。

 初めてデモを撮影した時に私はもの凄く嫌な気持ちになった。「原発反対、原発止めろ」このシュプレヒコールを聞いていると何故だか私の故郷が否定されている様な気持ちになった。  彼らにはそんなつもりなど無いのかもしれないが、私には原発立地地域に対しての悪意に感じられてしまった。それは多分、原発があったからこそ故郷が今なおあり続けられるのだという思いがあったからかもしれない。

 沿道で偶然デモ活動に遭遇した人達にとってはお祭り騒ぎの様に思われてしまうかもしれない。けれど原発問題が過去から今尚続いている問題なのだと認識させる事は重要な事だ。
 しかし、いわゆるヘイトスピーチや団体間でのイニシアチブの奪い合いの様にも思える対立、自身の責任の所在を無視した活動を見てしまうと不信感が募ってしまう。

 勿論それは一部であるし、様々な団体が協力し合っている様子を目にする事も多い。今回の事故が起こる前から活動を続けている団体もあり、その努力や真剣さには何も言う事が出来ない。
 だが、たまたま沿道でそういった悪い印象を抱いてしまう様な様子を目にしてしまった人にとっては反・脱原発のデモ活動全体の印象に思われてしまうのではないだろうか。

 東京で毎週の様にデモが行われている事について色々と考えてしまう。東京の電力をまかなう為に稼働していた福島の原発が事故を起こし、それを切っ掛けに自身の安全だけを考えて声を上げているのであれば、私はその活動に疑問をもってしまう。

 これからどの様にデモ活動が行われ、変わっていくのかを見続けなければいけない。