「東京に住んで」

 18歳選挙権に関連した公職選挙法改正により、選挙権年齢が高校生を含む18歳以上に引き下げられてから初めての国政選挙となる第24回参議院議員通常選挙が行われた。
憲法改定の是非や安保法制への評価、アベノミクスの是非、TPPや農業、社会保障に少子化対策。そして、原発再稼働の是非と様々な争点があった選挙だったと思う。それに伴ってか様々な新党が現れ、
選挙前には様々なところで街頭演説やイベントが都心では繰り広げられていた。
結果は自公連立政権の与党が改選議席の過半数である61議席を大きく上回る70議席を獲得して勝利し、「安倍政権の打倒」などの目標で合意し共闘した野党は惨敗した。

南スーダンの国連平和維持活動に派遣した陸上自衛隊部隊の日報破棄問題や「テロ等準備罪」法の強行採決、憲法改正方針など様々な問題に対して政治不信を抱えた人達によって行われるデモを多く目にした。
そして、水田水脈議員による同性愛者に対する「生産性」問題ではLGBTの人達が声を上げ、東京医大における女子受験者に対しての一律減点問題では多くの女性が声を上げた。
外国人に対する差別的なデモもよく見かけるようになり、そこには差別に対して反対するカウンターと呼ばれる人たちが常にいた。

 日付が5月1日になる瞬間の渋谷には若者達が溢れ正月のような様相を見せながら元号が平成から令和へと変わり、前回の選挙から続く憲法改正や消費税増税、
老後2000万円問題を象徴とした年金や社会保障に子育て支援、沖縄における米軍普天間飛行場移設問題や大阪都構想などを争点とした第25回参議議員通常選挙が行われ、
野党5党派は1人区全てで候補者を一本化したが10勝22敗、憲法改正に前向きな与党と維新の会は改正の発議に必要な3分の2の88議席を目指したが79議席となった。
投票率は48.8%ととても低いものだったが、延期されていた天皇陛下即位に伴う祝賀パレードには多くの人たちが集まり日の丸の小さな旗を振り、携帯電話で写真を撮りながら歓声を上げていた。

様々な問題を置き去りにするように平成から令和になり、原発関係のデモは首都圏反原発連合が行う金曜官邸前抗議に集約された。様々な問題に対する主張が街で響くようになり、
震災直後の静まった街の様子や夜の街頭の暗さを思い出せないくらいに街には人が溢れ、賑やかな声が耳に入ってくる。

あの時の景色や経験から私たちは何を考え何を選んできたのだろうか。オリンピックを目前にしながら新しい時代に向かっていくこの今に過去を振り返り、思い返すことは不要なのだろうか。

「福島を訪ねて」

 桜の咲き始める春の頃に、台湾で出会った彼女と初めて福島へ行った。彼女は外を眺めながら仕切りに「きれい」と言っていた。

 帰還困難区域を除く海岸線は護岸工事が進み、新しい大地の上にはこれから防風林となるであろう小さな黒松の苗がいくつも植えられていた。
いくつかの地域では海水浴を楽しむことができるようになり海開きの日にはイベントが行われ、多くの人たちが夏の始まりを喜んでいた。
除染の範囲が徐々に高線量の地域に移行していき、道路や農地では作業員が汗をかきながら作業をしていた。いくつかの地域では祭りが再開され、新しく作られた道路をの上を神輿を担ぎながら過ぎていく。
ようやく再開した富岡町の麓山の火祭りでは神仏混合の不思議な光景を見ることができたし、友人の奥さんの故郷であるいわき市の田ノ網地区では神輿を担いだまま海へ入っていく光景を見ることができた。
盆踊りでは多くの人が踊りを覚えていて、お囃子の歌詞や調子も地域で異なる事に驚かされた。

 南相馬の鹿島区にある復興の象徴とも呼ばれていた「かしまの一本松」が立ち枯れなどによって震災から6年9ヶ月経って伐採され、
浜通りの幾つもの場所で見かける除染土などが入っているフレコンバックの山は時間が経つにつれその面積を増やし、草木に覆われていくにつれて見慣れた風景になっていった。
 広野駅のホームには高校生たちが下校のために電車を待ち、富岡町では音楽フェスに多くの人たちが集まり、浪江町では避難指示区域が解除され漁港が新たにできていた。
いわき市や楢葉町、広野町などには真新しい住宅が完成し庭には洗濯物が干され、子供用の自転車や農機具などが置かれている。常磐線全線開通を目指して夜ノ森駅や大野駅、双葉駅の改修工事が進んでいた。
福島市に住んでいる友人は「除染作業員がいなくなったから夜の街が少しだけ寂しくなった。新しくできた店はすぐに閉まっていく。それでも戻ってくる若者もいてなんだか安心する。」と話す。
私はそんな話を聞きながら久々の再会にいつも酒を飲み過ぎてしまう。

テレビでは今でも各地の放射線量を知らせている。それは天気予報の降水確率のように毎日見る画面になっている。

真新しい防潮堤の先から登ってくる太陽がフレコンバックが積み上がった景色の向こうに沈んでいき、新しく舗装された道路の上を御輿が通り、ソーラーパネルの横を天狗や獅子舞が練り歩く。
震災以前からあった風景が更新された風景に馴染んでいくにはそれほど時間がかからないのかもしれない。新しく積み上げられた防潮堤の下にある大地と同じように、そこに住んでいる人たちの中には風土や文化が残っているからなのだろう。
失われてしまったものは確かにあるかもしれないが、それを埋めるように新しい文化や感覚の様なものが生まれてくるのだろう。