「10年が過ぎて」

 東京電力福島第一原子力発電所を抱える福島県浜通り周辺に暮らす人達と風景、原発関連のデモ活動が行われていた東京の渋谷や新宿、銀座周辺を行き交う人達と風景を同時に見ることで別々に眺める事とは違った思いや考えが生まれるのかもしれない。
 電力を受容している土地に住んでいる私が、その電力を供給していた場所を訪れる。起きてしまった事故後の10年を眺める事は免罪符にはならないだろう。それに加え私自身が原発立地地域出身であり、私の出身地でこのような事故が起きなくて良かったと思ってしまった罪悪感は未だに残り続けている。

 日本が行ってきた原子力政策を見直すきっかけとなった東京電力福島第一原子力発電所事故は10年という節目を迎えながらも廃炉作業は始まったばかりという印象を受ける。周辺地域の除染は進み帰還困難区域は徐々に面積を減らし、かつての生活を取り戻せるようになってきてはいるが、人々が以前のように戻ってくるのかは未だにわからない。
 盛んに行われていた東京での原発に関するデモ活動は当初とは比べ物にならないくらいに減少し、街には様々な主義主張を訴えるデモ活動が現れた。あの時のデモ活動が今日につながっていると考えればとても大きな転換期だったのかもしれないが、福島第一原発事故が過去になってしまった事を感じずにはいられない。

 近年では様々な地域で水害や地震などの自然災害が起こり、被災地と呼ばれる地域が増えるにつれ復興という言葉がどういうものなのかという事を考えてしまう。
思い出してしまうのは徳島県海陽町でみた大きな石に刻まれた大津波に関する文章だった。かつてその土地に大津波が来たという事を知らせるために当時の人が刻んだであろう文字を読んだ時に、この石の文字をこの土地の人達はどのくらい気にしているのだろうと考えてしまった。
 語り継いでいくという事が当時どのくらい行われていたのかはわからないが、現在の福島県浜通りにはそれを伝えていこうという意思が強く感じられる。しかし、その強い意思が薄れてきた時に復興という言葉が現れるのではないだろうかと思ってしまった。
 忘れるという事が許された時にようやく復興という言葉が現れるのかもしれない。しかし、東京という土地では忘れるという事が少しだけ早いような気がしてしまう。