インド最南端のヒンドゥー教の聖地カーニャクマリ(Kanyakumari)から約25キロ程の所にイディンダカライ(Idindakarai)という漁村がある。
 2004年12月26日に起きたスマトラ島沖地震の被災地でもあるこの村の一画には被災の際に復興支援として作られた津波コロニーと呼ばれる支援住宅がり、そこには今なお多くの人達が生活をしている。村の入り口に近いこの場所から教会のある中心へ向けて歩いていく道のりは南の国らしく湿った暖かい風が吹き、いたるところに生えている椰子の木の葉やバナナの木の葉を揺らしている。横を走り抜けていくバイクや駆けていく子供達を眺めていると次第に潮の香りが強くなり波の音が聞こえてくる。民家の間をすり抜けていく先には大きなキリスト教会とそれより少しだけ小さなヒンドゥー寺院が見えてくる。
 昼過ぎのこの村には穏やかな空気が流れている。漁を終えて昼寝をしたり漁終わりの仕掛けを整える漁師や、ビリー(インドの葉巻タバコ)を巻く女性に日陰で横になりながら談笑する人達。
 日が沈み始める頃には教会で祈りを捧げる者の背後から夕食を知らせる湯気や煙が立ち上り始め、それほど多くない街灯が灯り、家々の中が明るくなる頃には水平線に日が沈んでいく。その先には2014年に商業運転が開始されたクダンクラム(Kudankuram)原子力発電所をしっかりと見ることができる。


 1997年にインド原子力発電公社がロシアの原子力関連企業アトムストロイエクスポルト(Atomstroyexport)の援助を受けて、ロシアの原子力企業ロスアトム(Rosatom)が建設を開始した。インド初の100万kwを超える原発稼働の始まりだ。
 2011年初めに工事は完了した。同年3月11日に日本で起きた東日本大震災に伴う原子力災害以降の7月に試験運転を行った事により、地元出身の元大学教授ウダヤ・クマール(Udaya Kumar)氏らによるNGO団体PMANE(People’s Movement Against Nucler Enegy)の活動はより大きなものとなった。
 8月以降連日1万人以上が参加し、安全性評価や環境影響評価の開示を求め、集会やデモ行進、道路封鎖や無期限のハンストなどが行われた。
 その結果、ジャヤラリター(Jayalalithaa)州首相は「住民の合意があるまでは稼働させない」と表明し、シン(Singh)首相に原発の稼働断念を求めた。しかし、2012年3月19日に州首相は方向転換を発表し稼働を許可した。原発周辺地域を武装警官隊で封鎖し、物資の搬入を禁止し、メディアに対しては報道規制を行った。そして、PMANE(People’s Movement Against Nucler Enegy)幹部には逮捕状が出され、22日行われたデモ活動を行った住民665人が逮捕された。
 その後高等裁判所によって封鎖解除及び物資搬入が許可されたが、抗議活動はその後も続けられ、2012年9月10日には約1000人がデモ隊に参加した。その際に警官が発砲した銃弾を受けた住民が1人死亡し、200人が警察に拘束された。
 この村の人口は1万人程だが、その内の8856人に対して21件の国家反逆罪の事件を起こしたとして罪状をかけられている。そのほとんどの人達は自分の事件がどのような状態になっているかも知らされず、犯罪被害証明書を見たことすらない。


 メルレットさんは2012年PMANEのデモ活動の際警官が群衆に向け銃を放つのを目撃したその時から反対活動を死ぬまで続けていくという決意をした。それからはあらゆる抗議に参加している。
「私たちの目標はすべての原子炉を閉鎖することです。」そう語る彼女には127の罪が課せられている。そして、その罪はすべて偽造されたものだと言いう。約3年程の間彼女は家から出ることを許可されなかった。

 村に住む漁師のサティーシュさんはかつて村を襲った津波(スマトラ沖地震)と、それに伴う原発の影響を恐れている。
「もし今後津波がまた襲ってくるなら、村人は他のところへ逃げるだろう。でももし原発に問題が起きたら、誰が村人たちを助けてくれる?どこへかくまってくれるんだ?政府は私たちの安全と衛生を保証してくれない。
みんなわかっている。政府の人間はこの「発展」がいずれ全世界を滅ぼすということを理解すべきだ。創造とは、人類の健康と成長に使われるべきであって、世界を破滅させるためのものではない。」


 2016年8月10日に原発の引渡し式典が行われ、落ち着きを取り戻した様に見える今でも村人たちの罪は消えない。
 国家によって偽装された罪、津波やそれに伴う原子力災害や原子力発電所が及ぼす環境への影響に今でも彼らは静かに怯えながらも、反対の意思を絶やすことはない。


日が昇り始める頃には漁師は海へ出て漁を行い、強い日差しが照り始める頃には競り場に魚が並び始める。この村で一番騒がしい時間帯だ。子供達の声が学校から聞こえ始める頃には村は静けさを取り戻し穏やかに湿った風が木々の葉を揺らし波の音と共に聞こえてくる。