インド中部、デカン高原に位置するヴィダルバ地区。広大な畑では綿花が主に栽培されている。牛がいて、川があって、人々の営みがあって、延々と続けられてきたであろう光景が流れている。
 コットンベルトと呼ばれて久しいこの地であったが、今ではスーサイドベルトと呼ばれ年間1000人以上の人達が自ら命を絶っている。その大多数は家長である男性だ。

 こういった変化が始まったのは約10年前からだ。

 多国籍企業の持ち込んだ彼らには自家採種出来ない高価なハイブリッド種子や遺伝子組み換え種子の導入。それによる依存が引き起こす生産コストの上昇。
 本来綿花というものは翌年の為に種を取っておき、それを使ってまた栽培するという形であったが、先に上げた二つの種子は翌年に種を取っておけず、毎年高価な種を買わなくてはいけない。そして、元の農法に戻そうにも品質だけが上がってしまった状態では、その農家の綿花は省かれてしまい、元の農法に戻す事は現実的には難しい状況になっている。

 それに拍車をかける様にアメリカ政府によるWTOのルールを無視した輸出補助金政策が始まった。政府と繋がりのある大農家には大規模灌漑装置や大型収穫機などが導入され、広大な土地で大量に生産された安値で高品質な綿花が世界中に向けて輸出される。それに伴い綿花国際価格の下落が引き起こされる。

 それに加え、旱魃によって引きおこされる不作や灌漑施設の不在。ダウリーの問題も彼らを追いつめる一つの要因となっている。ダウリーとは花嫁の家族から花婿及びその家族に対して支払われる持参金の事で、酷い例では女児が生まれたら殺してしまったり、結婚しても額に不満のある姑や夫が妻に嫌がらせをし、挙げ句には殺害してしまう事もある。
 1961年に持参財禁止法が制定されたにも関わらず今なお広くインド社会に残る習慣の事だ。

 そういった要因により、銀行からも融資を受けられなくなってしまった農民は傍系親族から名前を借りて高利貸し(4ヶ月のローンに対して最大20%の利息)に頼るほか無くなってしまう。
 彼らの年収が100ドル以下(インドの平均年収が450ドル前後)、それに対し借金は110~550ドルにも上る。そして、その借金は家長がいなくなってもなお残り続ける。
 この現状に対して、現場を視察に訪れたマンモハン・シン首相は寡婦に対して約2000ドルの救済政策を打ち出したが、私が取材した限りでは半数以上の寡婦に対して支払われてはいなかった。